児童文学評論記録

児童文学を評論する中年の日記

『悪い本』(宮部みゆき・作 吉田尚令・絵 東雅夫・編)

 岩崎書店のとってもこわい「怪談えほん」シリーズである。他が幽霊とか妖怪とかそういうのをテーマにしてるのに対して、さすが宮部みゆき。人間の悪意について書いている。

 この温もりある絵と恐ろしい文章というのは『あけるな』以降、なかなかお目にかかれなかった。というわけでとっても嬉しい気持ちで読む。しかしよくできた作品である。

 冒頭から『悪い本』は自分が悪い本であることを伝える。悪いことの書いてある本なんかいらないと思うでしょう。それは間違い。あなたはいずれ悪いことをしたくてたまらなくなる。そして、そうなったとき、あなたはこの世で一番強い。

 『クロスファイア』しかり『魔術はささやく』しかり『ぼんくら』しかり、宮部みゆきの作品には悪いことをして強くなる人が老若男女を問わず出てくる。世間から外れてもやりたいことがあるから、なんでもないとこに火をつけたり、物事を予知したり、長屋の住人を締め出そうなんて考えられる。そしてその力の大きさがめぐりめぐって自分にはね返り、大変な事態を引き起こしてしまう。だから子供たち、悪いことはしてもいいけど、あとあとのことは覚悟してね、というメッセージかと思っていた。

 しかし何度か読んでしばらく経つと、むしろ宮部は「悪く」なることを推奨しているようにも思えてきた。たしかに悪いことをすれば自分もまわりも傷ついてしまう。でも迷惑な強い力で世界を変えた人というのは多いのではないのか?推測だけれども野口英世とか、ガリレオ・ガリレイとか、本田圭佑なんかはとても口に出せないような社会に対する怨恨を持っている気がする。むしろその邪な気持ちこそが彼らの人並み外れたパワーになったのではないか。もっと言えば文学。どう転んでも自分が悪いのに、それを通り魔的に人にぶつける作品は面白い。もちろん読んでるほうも疲れるし、書いてるほうもかなり消耗しちゃうんだけど……。でも言われてみれば最近そういう作品を読まない。作家も変わった。ある文芸作家が「人を圧倒してやろう、みたいな気持ちで本を読むのはよくないんじゃないか(意訳)」みたいなことを言っていてすこし驚いた。「人を痛めつけてやりたい」って動機でやる文学、悪くないと我々の世代は思うんだけど。

 そういえばツイッターでちょっと前に「ずるいという言葉は卑怯な手段を使った人に言う言葉。相手が間違ってなければうらやましいというべき。(やっぱり意訳)」みたいなのが話題になってて、悩んでしまった。わかる。うちの息子も特性的に怒りとか悲しみを引きずるタイプだし。はじめからネガティブな感情を持たないほうがこちらも対応が楽だし。

 でも、「ずるい」という気持ちは止められない。相手は悪くないのに、ちっとも許せなくて、腹が立ってなにも手につかなくなる瞬間が一度はやってくる。冗談抜きで世界中の人間を痛めつける方法を探すしかないときがやってくる。そしたらもう「悪い本」に任せるしかない。大丈夫。お子さんはあなたが思ってる何百倍も強くたくましくなります。多分。